かてぃー先生の日記

国語の先生(女)。仕事とか私事とかいろいろ書くよ。

何で国語の先生のくせにそんなに語学を勉強するのか

タイトルの通りですね!

散々、英語(2年前はドイツ語)の勉強に関する記事を上げているので、語学の勉強に熱心なのはブログ見れば分かると思う。

しかし、私の本職は国語。

国語の教員が何でそんなに外国語にはまっていてるのか(挙句、海外進出するのか)、本業の勉強の話はどうした?というところを中心に日記書いてみようかと思います。

 

そもそも何で国語の教師?

うーん、「あ、英語にしておけばよかったかな」と思ったことは、正直何回かあった。笑

今、結果的には国語で良かったと思っているけれど。

 

まず「先生になりたい」が来て、私が進学した大学で取れる免許が中高のみだったから、ここで小学校教員の道はナシに。

 

katywoyton.hatenablog.com

 

で、英語か国語か免許を選べたけれど、国語を選んだ最大の理由が「英語教えられるほど、英語ペラペラじゃない」…えっ超ネガティブな選択方法。笑

一応言い訳しておきますと、自分帰国子女なんで、周囲の「英語喋れる子」のレベルが本気なんですよね。

ハーフだからほぼ英語が母語とか、インターナショナルスクール通ってたとか。

私は一般平民なので、一般的な英語力しかない。

だから、英語の先生っていうのは、ガチ目に英語が喋れないとなれないものだと思っていた。

加えて、ネイティブレベルに喋れるようになるためには留学するのが良いと思うけれど、私は大学で運動部に入りたいという思いもあり、

現状で英語喋れない上に、留学している暇もないなら、英語の免許はナシかなーと思った次第。

ただし、もしこれから英語の免許を取ろうと思っている人がいたら伝えておきたいのだけれど、別にネイティブレベルで英語が話せる必要はない。

私の前職場には、私より英語ができないであろう英語の先生方もまあぼちぼちいた。

しかも今、どこの学校でも英語科が一番人手不足なはずなので、英語の免許を持っているのが一番強いと思う。

結構マジで私も英語の免許取ろうかなと思うくらいである。

 

が、それは置いておいて、私が国語の先生を目指すに至った理由は、以上のような消極的選択が主な理由。

まーー「国語が好き/得意」ってのもあるよ、そりゃ。

でも、「私は英語ができない」というコンプレックスが邪魔をしたというのがかなりデカい。

 

大学でのギャップ

国語の先生を目指す=国文学、という安易というか、実直な発想で、大学では迷うことなく国文学を専攻。

しかし、蓋を開けてみると、これが全然私に合わない。

「これは役に立つぞ」と思える勉強しか頑張れないのだが、(だから、先生でも目指さない限り勉強しない。)国文学って古典のマニアックな学問じゃないですか。

これのどこが役に立つのか1ミリも分からない。

今でこそ、1ミリくらいは分かったかもしれないけれど、正直古典は好きじゃない。

っていうかやる意味が分からない。

古典文法で喋るやつおらんやん。

 

そうは言っても、大学で国文学専攻しちゃったから、四年間この「役に立たなそうな古典」とお付き合いしていくしかない。

つまらなかったから、独文学の授業とか潜りまくっていた。

 

国文学がつまらなくても、卒論を書かないことには卒業できない。

でも、私は古文も漢文も読む能力が無いので、「古典の現代語訳の調査」という、古文回避の裏技的な卒論を書いておいた。笑 

 

国文学に触れてみて思ったのが、「このジャンル、これ以上発展しようがないのでは??」ということ。

国文学では、現代文学よりも、近代以前の研究が主。

でも、「古いものを調査する」って、調査対象が増えないから、皆が調査し続けていたらいつか調べることが無くなるはず。

だから、今でも「それ重箱の隅をつついているだけですよね???」みたいな論文はちょいちょい見る。

未来ないじゃん!つまんな!!って思った。

専門家の人たち、ごめん。笑

 

※独文学だって、ゲーテだのシラーだのドイツ古典やってるじゃん!という突っ込みが来そうですが、①(今も使われている)外国語を学べる、②海外文学を通じて現在の文化も学べる、というところが大好きだった。

国文学には①が無いのが辛い。

 

 

大学院でもギャップ

学部は国文学だったけれど、これ以上専門的な国文学の勉強はしたくない。

古文漢文読めない私には、国文学研究の才能も意欲も無い。

でも、諸事情で(笑)、院に行かねばならない。

教育学なら楽しそうかなと思い、院では教育学部にシフトチェンジ。

(教育学部でも学科次第で国語の専修免許が取れる。)

実際、院での勉強を始めてみて、教育学の方が合っている感じはした。

が、院なので院生の論文をよく見ていくうちに、「この論文意味あるか???」みたいなやつにしばしば出くわす。

一番「意味ないやん」と思ったのが、特定の教材の教授法を数年かけて研究している人々。

例えば「『走れメロス』をどうやって教えたら効果的か」みたいなテーマで二年かけて修論書く人。

いや、あなたメロス扱わない学年しか受け持てなかったらどーすんの?

しかも、二年研究して見えてくることがメロスだけってwww

そりゃ、メロスを教える方法を研究する中で、何かしらの教授法を確立し、それを別の小説にも適用できる、みたいな研究なら幅広く使える。

でも、私の周りの論文は、「(特定の)教材研究・開発」がほとんど。

実際教員として働いてみて思ったけれど、時間さえあれば、実際に働いている先生が書けるよね。

 

ただ、修士に行ってしまったら、修論を書かねばならない。(当たり前だ)

今後の教員人生で活用するかわからない、メロス論文みたいなやつは書きたくない。

中・高どこに飛ばされてもなるべく使えそうな内容…と考えたら、特定の教材の話をするのではなく、教育方法論(「こういう風に教えると良いですよ」っていう全般的な方法論)を書けばよいという結論に至る。

が、教育方法論の論文もすでに腐るほどあるんですよ。

教材研究・開発の論文なら、教材の数だけ書けるから無限。

既存の教材じゃなくて、「〇〇という小説を、新しく現代文の教材にすることを提案します」みたいな内容だったら、本気で無限に書ける。

一方、方法論は方法の話なので、種類にも限度がある。

そんなペーペーの修士生に新しい方法が発見できるはずもない。

そこで、私が思いついたのが、海外の教授法との比較論文。

ドイツを中心に「国語の教え方」の比較研究を行った。

その中で気が付いたこと、「国語教育系の論文で、海外(中国以外)に言及している人、少なすぎじゃね???」問題。

私が扱ってた研究テーマとか、先行研究している人がまじ片手で数えられる程度しかいなかった。まじで。

逆に、メロスで論文書いたら、死ぬほど先行研究出てくると思う。

何でこんなに海外系の研究が無いのか考えてみたら、

国語教育の道に進みたがる人の6割くらい(当社比)は国文学オタ→国文学ガチ勢は古文漢文中国語は読めるが、英語等欧米の言語が手薄

という理由かなと考えるに至る。

残りの4割(当社比)については、別に国文学オタじゃないけれど、英語ができれば英語教師目指していたはずだから、そんなに英語は出来ない

ということじゃないかと勝手に思っている。

そもそも、国語科の教員で海外に興味関心がある人って、英語科に比べりゃ絶対に少ない。

海外に興味関心あれば、英語に流れがちなのでね。

 

ということで、

国際系×英語科、は当たり前すぎて供給過多である一方、

国際系×国語科、はブルーオーシャンでね?と。

 

これ以上、私が国文学系の知識を身につけたところで、そもそもの興味関心が薄いからガチ勢にはかなわない。

加えて、世の流れ的に、国文学を重視する傾向ってもう消えていくと思う。

その反面、「グローバルな人材」とやらがもてはやされつつあるので、「国語科なのに海外オタ」は今後需要があると思っている。

ってか、現時点でも、「国語の教員だけど、海外経験長いです」って言うと、就活のウケは良い。

 

以上、国際系の国語教師っていうのが、一番自分に活路が見出せそうだと考えて、英語勉強したり、海外進出を狙っていたりする理由です。

 

 

今後、英語の先生目指さないの?

サブで英語の免許持ってたら強いかなと思っているので、そういう意味では英語免許欲しい。

でもメインは国語のままだと思う。

最大の理由は、英語教師界には(供給が間に合っていない学校が多々あるとは言え)、英語ガチ勢・国際派が跋扈しているので、私が上位層に食い込む隙が無いっていうことです。

あと、それに加えて、高校までの英語の勉強って、主に「コミュニケーションの道具としての英語」じゃないですか。学校のレベルによりますが。

何か、それなら、英語ネイティブが教えりゃいいんじゃない?って思うとモチベーション保てない。笑

 

 

あくまで目指すは、「英語も出来る、国語科なのにやたらインターナショナルな人」ということです。

その実現のためにも、英語、頑張ります…笑